2018年8月11&12日
原作 阿部 順「薬園台の国語算数理科社会」
脚色・演出 加納朋之(文学座)
製作 佐藤尚子(青年劇場)
■公演プログラム
演出 加納朋之(文学座)
この芝居は20年ほど前に高校演劇で上演された「薬園台の国語 算数 理科 社会」という作品です。
その作品を2010年に「土の中の教師たち」として新太に脚色し、東京の劇場で上演させていただきました。改題をする際に、候補のなかの一つ‥「啓蟄の頃」という題名がどうしても捨てがたく、サブタイトルとしました。
「啓蟄」(けいちつ)とは「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」の意味で「冬ごもりの虫が這い出る」という意味です。悩みを抱えて土に中に閉じこもってしまった教師たちが、勇気を出して這い出てくるという希望を込めて「啓蟄の頃」をサブタイトルとして残しました。
ただ、真っ暗な土の中から勇気を出して這い出てきても、辛いこと、苦しいことは多いでしょう。
でも、周りをよく見てみると、自分と同じように悩み苦しんでいる人がなんと多いことか。そのことに気づくことが出来れば。そんな時は同じ悩みを持った人に思いっきり愚痴を言いまくればいいんです。そうすれば少しは楽になるはずです。だって、土の中では誰も見えなかったのに、今は愚痴を言える相手がいるんですから・・・
「何のために私たちが生きているのか、何のために苦しんでいるのか悩むこともあるでしょう。そんな時は…そんな時は、とにかくあせらないで生きていきましょう!そうしていれば、いつの日にか、その答えが分かる日が来るかもしれません。」(劇中台詞より)
制作 佐藤尚子(青年劇場)
学生時代の思い出を語りあえば、それぞれの時代背景に包まれた、たくさんのエピソードや、友人の顔、先生の顔が浮かんでくるでしょう。ほとんどの方が長い時間を「学校」で過ごします。ただ、先の戦争と終戦後を生き延びるために、教育の場を通ることもできなかった子どもたちもいました。地上戦があり、日本と切り離された沖縄では、文字の読み書きができない人々が通う「学校」も存在します。(これもいつか芝居にしたい!)文字を知らずに長い人生を生きてきた苦労を思うと胸がつまります。
ところが・・現在の教育現場を知るにつれ、「いい時代になった」とはいえない現実を突きつけられます。えんぴつ一本が貴重品だった時代を乗り越え、ここまで来たけれど・・。
「学校」を舞台に『燦』のメンバーがお送りする「土の中の教師たち」が、人と人との繋がりを模索する全ての観客の皆さんとの共作となることを心から希望します。ご来場本当にありがとうございます。
足利市民プラザ付属シニア劇団「燦SAN」代表 篠崎正之
ご来場ありがとうございます。
今回の公演「土の中の教師たち~啓蟄の頃~」は、現役の高校教師の書いた脚本をわれらの演出家加納先生が脚色した作品です。
誰でも多少は思いあたるふしのある学校をめぐる様々な問題---色々な形をとったいじめ、組織内の不和や保身、モンスター化する一部保護者などなど---を倍率を高め、笑いを込めて描き出しています。
そして題名そのものが示唆的です。「土の中」は暗いイメージが先行しますが、「啓蟄」には春の季語らしく光に向かって蠢く肯定的な感じやかすかな嬉び感があります。生徒にとってと教師にとっても学校は問題を通しての学びの場・きたえの場なのかも知れません。
ただし、これは演劇です。演説ではありません。井上ひさしの名言(?)「難しいことをやさしく……深いことをおもしろく、おもしろいことを真面目に……」できあがっていれば幸いです。まだまだ「つたない芝居ではありますが」どうぞ、最後までご笑覧ください。